今回のインタビューゲストは読売新聞東京本社・社会部で、警視庁担当の事件記者をされている加藤哲大さんです。
「学生時代にいろんな人に会って話を聞いてほしい」と語る加藤さん。
高専から経済学部へ進んだきっかけ、記者という仕事についてもお話を伺いました。


 

記事用

プロフィール

2006年3月 茨城工業高等専門学校 電子制御工学科 卒業
2008年3月 国立大学経済学部 卒業
2008年4月 読売新聞東京本社 入社

—はじめに、高専に入った理由は何だったのですか。

5年間のびのびできる環境であるから、というのが1番の理由です。
当時、”普通科の高校は中学校と同じような3年間を繰り返す”というイメージでした。高専から大学に編入ができるという話を聞いていた事もあり、高校に3年行き大学で将来をある程度決めてしまうよりは、高専に5年間行くほうが柔軟で選択肢が広いのではないか、と思っていました。
しかし理系が大の苦手で…。高専の入試でも社会は自己採点で100点、数学と理科は低空飛行でした。苦手だけども自分の将来にとって理系の知識は必要だろうと思っていたので、高専に行けばもしかしたらできるようになるのでは、という期待もありましたね。学科を選ぶときも、周りの高専生のように「機械がやりたい」、「コンピューターを作りたい」というのはなかったので、一番学べる課程の幅が広いといわれていた電子制御工学科を選びました。

—そうだったのですね。5年間の印象はどうですか。

高専に入ってすぐに先生から、「理系はごまかしがきかない」「君たちも技術屋になるのだが、技術屋は人の命を預かる」と言われたのが印象的で今でも覚えています。また、自由と責任が非常に明確で、大人の扱いをしてもらっていたな、という印象も強いですね。極端な話、授業に出なかろうが寝てようが、ある意味試験の点数で進級が決まるという点などは特に。自己管理、自己責任という感覚が強かったです。
また、高専時代は教官室をよく回っていました。放課後とか、場合によっては授業を抜けていろんな先生の部屋を順番にノックして話をしにいっていました。茨城高専も当時は既に実業の世界から来ている人が多くて。仕事の話とか、会社はどういうものなのか、働くとはどういうことなのか、という事をコーヒーを飲みながらよく話していました。そういう話を聞くのが楽しくて、授業で関わっていない先生のところにも行っていました。先生も学生が来ると受け入れてくれたし、学校としてもどんどん教官室に行けば良い、と言っていましたし。

—高専卒業後は経済学部に3年次編入をされたということですが、なぜ編入先として経済学部を選んだのですか。

視野を広げる、就職の選択肢を広げるという意味で経済学部を選びました。僕の場合は特に、技術屋になるつもりはなかったので、ある意味立場をフラットに戻すという意味でも。そのなかでも、実は種明かしをしてしまうと文系の編入先は選択肢が少なくて、さらに茨城高専の先輩が経済学部に編入をしていた、というのもあって自然に選びました。

—3年生から経済学部に入り、学校や授業はどうでしたか。

学校に関しては、僕は推薦で編入したのですが、大学側が高専用の枠を設けていて、それは歴代の先輩が大学でそれなりの成績を収めていて高専への信頼があるという事だと思うので、高専すごいな、と思っていました。
授業に関しては、経済学部は文系に分類されてはいるけれども数学を使う事が多くて、高専時代に既に学習しているものもありました。暗記的なものもあるけれど、統計学やミクロ・マクロ経済など、微積分を用いるものもあり数学的な要素も強いので、高専で学んだ応用数学や解析などは非常に役立ったと思います。

—経済学部からさらに読売新聞へと就職されていますが、高専入学、大学編入と「選択肢を広げる」がひとつのキーワードとして出ていた中で新聞社を就職先として選んだきっかけを教えてください。

子供の頃から一般紙とスポーツ紙を読んでいました。純粋にニュースを見るのも好きだったし、政治や経済、社会の話題に対して、非常に関心が強かったと思います。いろいろと企業を見ていくなかで、記者の仕事を説明会で知って、かっこいい仕事だなと思いました。他の選択肢はなかったです。

—記者という仕事を選択した理由は何だったのですか。

新聞を読んでいると時々、「どうして、こんな事が起きるのだろうか」とか、「この記事の出来事は、今後、どうなるのだろうか」と思うことがあって。そうであるならば、自らがニュースの中に飛び込んでいって、納得するところまで調べられる”新聞記者”を目指そうと思いました。裁量も責任も非常に大きく、青臭い事を大人になってもできそうだなという気もしました。大人になると『大人の事情』などで飲み込まなければならないものもある、と思っていたけれど新聞記者は大人になっても、正義感というと言い過ぎかもしれませんが、筋を通しているところに惹かれました。
取材を尽くして記事を書き、世に投げかけるというのは責任も大きい事ではあるけれど、これ以上にやりがいのある仕事はないだろうと思っています。就職を目指す時点で、一生かけてこの仕事ができるという思いはありました。

—今後の夢や目標を教えてください。

高専をキーワードとして話すと、僕は高専を非常に誇りに思っています。勉強も大変苦しいし、ついていけないんじゃないかと思ったこともあるけれど、周りにいた人たちは優秀で人間的にも魅力的で、それぞれみんな夢を語っていて前向きだった。周りの高専の人間を誇りに思っているから、自分も高専出身だということを誇りに感じられていました。だからこそ今こういう仕事をしている中で、技術屋として日本のものづくりを支えて世界と戦っている人達を、社会部の記者として記事を書きたいと思っています。よく言われますしね、記事を書いてと。(笑)

—後輩へのひとこと

今の仕事に関連して言うと、学生時代にいろんな人に会って話を聞いてほしい。
『新聞記者は名刺一枚で誰にでも会う事ができる』と言われているけれども、会って話を聞けるかというと、そうはいかない。「記者に話すと記事になってしまう」と緊張感が出てしまい、本音を聞くのは非常に難しい。もっと言うと、人によっては雑談すらしてくれないという事もあります。記者に限らず大人になると企業の利益が絡むし、立場があるので、そう簡単に人と会って話をしたところで本音を聞ける、聞きたい事を聞けるとはならないんです。
でも学生はその特権があるのだと、大人になってこの仕事をするとより強く感じます。当時教官室を回っていた事を思い返すと、いきなり行って、何でも教えてくれる、諭してくれるというのは二度とない貴重な機会。学生のうちにいろんな人に会って話を聞くのは非常に大きな財産になります。また、人脈として大人になってもずっと生かせると思います。それが社会に出たとたんに今までと同じ顔では会ってもらえない、という現実もあるので、学生というのはすごく限定された、すばらしい身分であることを伝えたいです。

執筆者:河内あゆ